Writing

草間政一59歳のプロレスデビュー

●謎のマスクマン

 2010年7月10日、西調布アリーナ。普段は格闘技U-FILE CAMPの道場として使用される、最大収容人数250名の狭い会場。プロレスイベント「ハッスル」のスピンオフイベント「ジェッツ1」のメインイベント。新日本プロレスのTV中継のオープニングテーマ「The Score」に乗って颯爽と現れたマスクマン。彼こそが元新日本プロレス社長の草間政一である。マスクからはハゲ頭が露出しており、会場の照明を激しく反射している。草間は高校時代レスリングで国体に出場した経歴がある。グラウンドでの攻防はそれを髣髴とさせる動きを見せた。しかしここはプロレスの舞台。打撃やとび技となるとアマレス経験だけではとても敵わない。はっきりいってグダグダな試合である。この59歳の新人レスラーの目的は何なのだろう。会場中がクエスチョンマークと失笑であふれかえっていた。

マスクマン「草間CEO」

マスクマン「草間CEO」

●千葉の風

 2010年8月、お盆前。連日の暑さはその日も猛威を振るっていた。千葉県柏市。そこに草間が経営している千葉県名産品のアンテナショップ「千葉の風」がある。地産地消をもじった「千産千消」の幟がはためく。梨、駄菓子、お弁当、ビールなどの商品をアピールする看板に混じって、なぜか東京スポーツの拡大コピーがあった。「私、草間政一59歳はこの度プロレスデビュー決めました」。店内に入ると、名産品のひとつである梨がどんと積まれている。その梨を使ったオリジナル商品「梨のプリン」は発売開始後2か月で5,000個も売れたという。ほかには房総の伊勢海老せんべい、千葉県各地の酒蔵で製造された日本酒、ピーナッツ、鯛サブレ―など。左手には駄菓子コーナー。右手にはイートインスペースがある。壁には過去に草間について書かれた新聞記事が所狭しと貼られている。店内の奥に進むと、梨ブランデーが置かれていた。そのさらに奥に、草間の作業スペースがあった。

 この日は中国の山西省から梨の加工品を作りたいという人物が来ており、草間は丁寧に対応していた。その間、私は真っ黒に日焼けした地元の小学生たちと話をしていた。夏休み真っ只中の彼女らは、駄菓子屋としてここを利用しているようだ。よく出入りしていると見え、私が梨のプリンを食べたいというと、パートの方と一緒に包装をして、出してくれた。「社長、お菓子がしけってるよ!」と文句を言う。草間は小学生達にも優しく接しているようだ。「雑用ばっかりで忙しいんだよ」。お客さんがやってくる度、草間は商品について丁寧に説明する。特に梨に関しては事細かに。

 かつて草間は白井梨ブランデー株式会社という、万年赤字である第三セクターの社長を務めていた。白井市が2007年に行った常勤取締役公募に応募し11月、社長に就任した。少しでも業績を回復させるため、経費削減、新製品「なし坊サブレ」の開発、広報宣伝活動などの様々な経営改善に取り組んだ。その活動内容は朝日、読売、毎日、日経、東京などの新聞で報道された。2008年2月、梨ブランデーからバイオエタノールを作り、実際に自動車を走らせた。これも日刊自動車新聞、フジサンケイビジネスアイ等の記事になり、千葉テレビの取材も受けた。同年3月、朝日新聞「人」欄に掲載された。広告効果としては抜群である。そして2008年度、1989年の創業以来最高の売り上げを計上、営業利益約118万円を達成する(経常利益はマイナス約231万円)。しかし、白井梨ブランデー清算を公約にあげて当選した新市長により、強引に破産させられてしまう。メディアへの露出で白井梨ブランデーが千葉県産の梨の広告塔となっていたこと、さらに会社自体も経営改善していたことを考えると理解のしがたい破産だった。草間は2009年9月に社長を辞任。草間が千葉県産の梨にかける強い想いは、この時期に形成されたものなのだろう。

マスクマン「草間CEO」

アンテナショップ「千葉の風」にて

●プロレス界のカルロスゴーン

 草間は1950年11月11日、東京都葛飾区出身、習志野高校から法政大学文学部英文学科、さらに学士入学で同大学経済学部経済学科を卒業し、下着メーカーのトリンプインターナショナルジャパンに入社した。最終的には財務部長となり、同社の「早朝会議」メンバーとして「金の下着」などの仕掛けも行ったという。その後、ヘッドハントされ40歳で渡米。キャロウェイゴルフ、アダプテックといった様々な企業の経営に参加した。日本でもスリーコムジャパン、ジャンニベルサーチジャパン、桐原書店などの経営にかかわっている。その後、経営顧問として活動する中、元プロレスラーのアントニオ猪木と出会う。そして2004年5月、新日本プロレスの社長に就任する。

 それまでの新日本プロレスは、必ずレスラーが社長を務めていた。会社はプロレスブームが去ってから、ずっと赤字続きだったという。それを草間は1年で黒字に立て直した。「プロレス村」という言葉がある。プロレスは特異な世界であって、一般の業種とは違うという意味合いである。草間はいわばプロレス村の外の人間である。それゆえ、村内部の人間から「あいつはプロレスのことをわかっていない」などと陰口をたたかれることが多かった。しかし、草間にしてみれば様々な業種に携わっており、プロレスもその中の一つでしかない。正しい経営ができれば、プロレス団体でもきっちり黒字に出来る、ということを短期間で証明してみせたのだ。

 そんな草間を、マスコミは「プロレス界のカルロスゴーン」と名付けた。スポーツ紙の記事は選手よりも草間をクローズアップしていた。そのことをやっかむ者もいたという。しかし草間に言わせると「自己プロデュースをして、記事になるぐらいのことができないレスラーの方が悪い」のである。頭のいいレスラーには草間を利用しようと考えるものもいた。あるとき永田裕志が新聞社のカメラマンを連れ「社長、俺にホースで水をぶっかけてください」と言ってきた。次の日、新聞の見出しには「永田、草間社長から力水」と出た。また、佐々木健介の妻で元女子プロレスラーの北斗晶は、夫の試合中に草間に蹴りかかるなどして大いに話題になった。

 新日本で草間が仕掛けた代表的なものは、2004年8月15日のイベント「G1 Climax」。13,300人もの観客が両国国技館をぎちぎちの満員にした。同日、さいたまスーパーアリーナでは総合格闘技の「PRIDE GRAND PRIX 2004決勝」が行われており、まさに興業戦争であった。この日の観客はすべて実券での入場であり、近年のプロレスの大イベントでありがちな招待券のばらまきは一切なかった、というから驚く。このイベントに向けて、新日本プロレスは山手線と丸ノ内線に中吊り広告を出している。それもただ出したのではなく、広告枠の買い手がつかないぎりぎりまで待って値段交渉をした。さらに、選手移動用のバスにラッピング広告を施し、新宿や渋谷といった都心部を一日中走らせた。これらは、いかにコストを抑えてプロモーションを行うか、という発想に基づいている。草間は「金をかけると何でもできるが、楽に出来てしまうので手抜きになる。むしろ金をかけないで一所懸命やったものの方が印象に残るのではないか」という。もちろん、連日賑わす新聞記事も効果を発揮した。その結果が実を結び、当日券が飛ぶように売れた。さらに、イベント終了後には両国で優勝パレードを行った。道路に一万人もの人があふれ、警察が出る騒ぎにまでなった。

 そうして新日本プロレスの立て直しに成功した草間だったが、ある日突然、辞任する。アントニオ猪木が自分の娘婿サイモンケリー猪木を社長に据える、と発言したためである。本来、草間の社長職を解任するためには、取締役会や株主総会での動議が必要であるが、そのような動きは全くなかった。しかし、草間は会社と揉めることをよしとせず、2005年5月に自ら辞任したのである。

●ハッスル草間GM登場と策士・中村祥之

 「新日本プロレス草間社長解任」(本当は「辞任」が正しい)という記事がスポーツ紙の見出しに載ったのを見て、真っ先に動いた人物がいる。プロレス団体ZERO-ONEを運営するファーストオンステージの中村祥之だ。当時、中村はドリームステージエンタテインメントのイベント「ハッスル」の運営を手伝っていた。新日本プロレスとハッスルは水と油のような関係だった。片やストロングスタイルを自負する老舗のプロレス団体、片や芸能人がリングに上がる華やかなスポーツエンターテインメント。中村は新日本時代の草間の様子を新聞などで知り「なんて面白い人なんだ」と思っていたという。そして、そんな草間がもしハッスルに登場したら?と考えた。早速、草間を品川プリンスホテルに呼び出した。このとき、実は草間には内緒で東京スポーツの記者とカメラマンを同行させていた。中村と草間は世間話やハッスルなどの話をしただけだった。しかし、その様子をカメラマンが捕えた。そして、翌日の新聞に「草間前新日本社長、ハッスルへ」の記事が出たのだ。こうして、2005年9月、草間は金のスパンコールのジャケットを羽織った「草間GM」として、ハッスルの舞台に上がることになった。

 草間が登場した頃、まさにハッスルは絶頂期であった。ハッスルはプロレスを一端のマイナースポーツではなく、一般に広く認知させ、ムーブメントを起こそうと活動していた。2005年11月「ハッスルマニア2005」では狂言師の和泉元彌、タレントのインリンオブジョイトイ、芸人のレイザーラモンHGが登場し、スポーツ新聞のみならず、一般の芸能メディアを賑わした。プロレスがオタクだけでなく、一般的な市民権を得た瞬間だった。同年12月、草間は「GM職」を奪われてハッスルからは姿を消す。翌年10月からは月一回「草間プロレス経営塾」を11回にわたって行った。DDT、大日本プロレス、アイスリボンなど近年活発的な団体はみなこの塾から巣立った者たちにより経営されている。草間の経営ノウハウはこうしてプロレス界全体に染み渡っていった。

●ハッスルの崩壊〜再興

 しかし、一方のハッスルは壁にぶち当たっていた。ドリームステージエンタテインメントからハッスルエンターテインメントへと運営が変わる中、芸能人路線や派手な演出を推し進めた結果、多額の費用が必要となり、気が付けば7億円といわれる負債を抱えるまでになってしまった。これにより選手・スタッフの大量離脱をひきおこし、最終的にハッスルに残っていたのは選手の坂田亘、若鷹ジェット信介、若鷹の大学時代の後輩でデビュー前の@UEXILE、そして社長の山口日昇の4名だけ。スポンサーも離れてしまった。2009年10月、ハッスルは予定していた興業すべての中止を発表する。もはや身動きの取れないところまで来てしまった。破産する、という選択肢もあった。しかし坂田たちが選んだのは、ハッスル再興であった。

 そんな中、手を差し伸べたのが2008年4月をもってハッスルの運営から退いていた中村のファーストオンステージであった。中村らのバックアップを受け、2010年4月「坂田“ハッスル”亘審判の日」として復興イベントを行った。さらに5月にもう一度「坂田“ハッスル”亘〜第二章〜」というイベントを行った。このイベントに、中村は草間を招待した。控室にあいさつに現れた草間に、中村はそっと金色のジャケットを手渡し「リング上であいさつをしてください」といった。草間はとくに嫌がることなく、あっさり了承した。観客の「ハゲ」コールに「ハゲじゃないよ!草間だよ!」のやりとり。往年の「草間GM」の復活に会場は大いに沸いた。同じ日、若鷹は「ジェッツ1」の開催を発表する。

●草間政一59歳のプロレスデビュー

 ハッスルは資金難から道場をZERO-ONEに譲ることとなり、その中で、ハッスルで使用していた衣装を整理することとなった。なぜか多くのマスクが紛失していたという。しかし、ひとつフルセットで残っていた衣装があった。パンチパーマがトレードマークのマスクマン「パンチ℃」というキャラクターのものである。ブルースリー風のトラックスーツ。マスクはパンチパーマを強調するため、頭部がむき出しになっている。これを見た中村たちは、すぐさま草間のハゲ頭を想像した。

 2010年6月。草間は中村から「ジェッツ1」の記者会見があるから来てくれないか、と頼まれた。会見場である道場に姿を現した草間に、中村は例のコスチュームを差し出し「これを着てください」と頭を下げた。草間はまたも何のためらいもなく衣装を着た。中村は最初から草間に試合をさせようと画策していたのだ。「草間さんなら元レスリング選手だし、最近スポーツをして鍛えてるいらしいから、いけるんじゃないか?」、と。新聞社にはそれ前提で話を通し、記事の枠を確保していた。デスクからは「記事にするからには必殺技を考えて欲しい」と言われたので、ひとまず「ハゲ」をもじった「HAGE(ヘイジ)」という技の名前だけを考えた。そして6月17日付の東京スポーツに草間プロレスデビューの記事が掲載されることとなる。またしても、草間は中村の罠にまんまと引っかかってしまった。しかし草間としても、その罠にかかることで新聞に大きく扱われて話題となることを熟知している。記者会見後には「なぜ朝日や日経が取材に来てないんだ?こんなんじゃダメだろう」と大見得を切ってみせた。これが草間政一59歳のプロレスデビューの顛末である。

●ハッスルMAN‘Sワールドへ

 その後、ハッスルは新組織「ハッスルMAN’Sワールド」として再スタートを切ることとなった。旗揚げ戦は2010年9月。ハッスルに残った3選手に、草間がCEOという肩書で経営の顧問をするようだ。しかし、かつてのように専門のスタッフがいるわけでもなく、開催1か月前になっても旗揚げ戦の詳細は全くアナウンスされない状態だった。このままでは多くの観客動員は見込めない。草間は言う。「もう試合はしないよ。痛いんだもん!9月のイベントに関してはやり方が下手だね。お客さんは来ないだろうね。本当はやり方を教えてやってもいいんだが、坂田たちが一回全部自分たちでやってみて、痛い目を見ないとわからないだろう。他のプロレスとの差別化もしていかないといけないね」。新団体の前途は多難であった。

 2010年9月10日、新宿で「ハッスルMAN’Sワールド」は旗揚げされた。観客動員はとてもじゃないが満足できるものではなかった。しかし、坂田らの熱意は十分伝わってきた。この日も草間は金色のジャケットを着て開演前のあいさつに現れた。しかも、ちゃっかりと梨のプリンの宣伝をしていったのだ。中村は「草間さんはプロレス的な考え方ができる人。草間さんの『ない』は『ある』ってことですよ」と言い、ニヤリと笑った。つまり、草間が再び試合をすることもありうるのか?それは中村や草間の考え方次第だろうが、大いに期待したい。これからの草間とハッスルMAN’Sワールドの動向から、目が離せない。

観客に「梨のプリン」をプレゼント

観客に「梨のプリン」をプレゼント

(文中敬称略、5,880字)2010.9 間宮健二郎
2011.2 一部修正


参考文献

千葉日報ウェブ 2009/6/4 「梨ブランデー黒字化 年間売上、最高の7668万円 白井市」
「知りすぎた、私」2005 東邦出版 草間政一
「A級戦犯―新日本プロレス崩壊の真実」2006 宝島社 草間政一
株式会社草間ビジネスネットワークホームページ http://www.kusama-business.co.jp

戻る